変わった形のアパートに住んでいる。
高さは20階建て。4本の丸い塔のような形。外壁の内側には通路がある。ひとつひとつのフロアはけっこう広い。1フロア3世帯から1世帯の構成(上に行くほど1世帯比率が上がる)地上階、10階ぐらい、そして最上階はそれぞれ4本の塔は渡り廊下的なものでつながれている。下のほうの渡り廊下にはスーパーマーケットやレンタルDVD店などがある。上はほとんどが飲食店。
E,W,N,Sと呼ばれるそれぞれの塔の最上階はEは閉鎖されていて、Wがフリースペースのようになっている(一部に小さい飲食店が壁際に並び椅子や机が無造作に並べられている)、N,Sは大型のレストランが入っている。
私はこの塔のEとWをすべて所有していた。知り合いの資産家が持っていたものだったが、亡くなる前になぜか私にくれたのだ。「食うには困らないだけの家賃収入はあるから、あまりがめつく生きないように。なにより借主を守るように」とだけ言われた。なので、他のオーナーと相談をしてWの最上階をフリースペースにした。Eの最上階だけで生活には困らないのだが、なにかに使うかもしれないので、Eの上から3フロアは人には貸していない。
テナント料や家賃で生活にはまったく困らない。その収入で他の物件も買って貸したりしているし、この塔が老朽化してしまっても他で生きていくためのお金は手に入るだろう。
そんなこともあり、また、100世帯近くに貸し出しをしている大家というのは割りと忙しい(不動産屋とのやりとりとか)ので、私は会社勤めをしていない。一応飲食店のコンサル業というものの名刺を持っていたりはするが、年に1度その仕事をするかしないかという程度。なので、表札も出していない。郵便物は管理会社がまとめて持ってきてくれる。Eの17階以上は誰も上がって来れなくなっているので、私がそこに住んでいることを、いや、私が誰であるのかも知っている人はほとんど居ない。
大家としての仕事がひと段落すると、いつも私はWの最上階に行っていた。なにをするわけでもない。壁際の椅子に寄りかかって外を眺めながらビールを飲んだり軽く食事をしたりタバコを吸ったりするだけだ。基本的に誰とも話はしない。
その日も夕方になったので、Wに向かった。E最上階からW、Sへの渡り廊下は6割程度が封鎖されている。飲食店の匂いが入ってくるのを防ぐためだ。逆に言えば残りは全て飲食店。E→Wの渡り廊下、フリースベースの一部にある飲食店の一部は私が直接経営しているものもある。が、家族の名義を使っているので、やはり経営者が私であることを知らないテナントのほうが多い。
フリースペースには近隣の店で買ったもの、あるいは自宅から持ってきたものの持込など、飲食については完全に自由だ。ここで火を使って調理をすることだけが禁止されている。また、飲食店従業員、居住者、オフィスフロアの社員以外はWの20階に入ることができない。IDタグを持っていない「動くモノ」は警備員に連れ出されてしまう。逆に言えば「住んでいる猫」でタグが付いていれば追い出されはしない。昼間は勉強をしている学生なども多いが、食事時や夜はやはり人が多い。
ふとカレーの匂いがすることに気が付いた。見るとも無くそちらを眺めると、私と同世代ぐらいの男性が鍋を前に携帯で話をしている。
「…ああ。例の空き地に居る。カレー食いに来いよ。皿とか持って来いよ」などと。
服装やカレーの鍋を持っていることからして居住者なのだろう。どこかで見たような気がする顔だが、思い出せなかった。それにしても彼らはこの場所を「空き地」と呼んでいるのか。
猫を抱きかかえている小さな女の子が居る。小学生ぐらいだろうか、先ほどからうろうろというかきょろきょろしている。と、もう一人同じように犬を抱えた女の子がやってきた。と、猫の子が
「遅いよ!」
「ごめんごめん! この子がなかなか見つからなくて!」と犬の子。
「しっ! 声が大きいって!」と猫の子。
もしかして、と思う。
・猫や犬が比較的暴れる
・それでも下に絶対に下ろさない
・犬が居なくて遅れた
このすべての条件を満たす理由は、この子たちがタグを持っていないということではないだろうか。現状の警備のシステムでは、抱えた犬や猫とこの子たちを「1人と1匹」とは分離して認識できないはずだ。
一応警備員を呼んでみるか、と思う。私と他の塔の所有者2名が持つタグは特別なもので、警備員を呼び出せる機能および「オーナーのいずれか」であることを向こうが認識できる機能が付いている。
ボタンを押そうか、と思ったとき、先のカレーの男性の友人らしき人物が入ってきた。手に食器と缶ビールを持っているからまあ、間違いないだろう。そして彼もどこかで見たような気がする顔をしていた。
と、犬猫の子たちが、その彼を見てささっとこちら側に逃げるように移動してきた。と、男性がそれに気づき「おい! またお前らか!」とちょっとイラついたような声で言っている。
鍋を持ってきた男性が「いいよ…ほっとけよ」と。
「でもよ。決まりは決まりだぜ? また誰かカモられるんじゃないのか?」
なるほど。子供たちがタグを持っていない、つまりこの塔の住人ではないことはもう間違いないだろう。しかし、どういう理由なのだろうか。
「ちょっといいですか」と食器の男性がやってきた。と、子供たちが私の後ろに隠れるような形になった。
「あなた、ときどきお見かけしますが、こちらにお住まいで?」と男性。
「ええ。まあ」と私。
「ならご存知のようにタグが必要ですよね。この空き地には。で、この子らは外部の人間です。どこかの家のペットを捕まえてきてここに入り、で、お遣いをするから、と金を預かって買い物してつり銭をちょろまかしたり、買ったものから抜いて食う、ということの常習犯なんですよ」と。ああ、そういうことなのか。
「空き地だって。センス無いね」
「広場だよねどっちかっていうと」
まあ、センスはともかく、この場はなんとかしないといかんな、と思う。と鍋の男性もやってきて
「あの。失礼ですがあなた●●じゃないですか?」と。
「あ! そうだどっかで見たと思ったら。俺は××で、こいつは△△だよ!」と。
どこかで見たと思ったが、小学校の同級生だった。
「いえ。違います。私は■■というもので…」
彼らはどうもE,Wの住人ではないようだ。だとしたら貸主の名前は私の本名なので、その段階で気が付いたかもしれない。私は今は仕事用の名前を使っているのでその名を言った。いつのころからだろうか、私は自分の本名を知られることがいやになっていた。私がどこの誰であるのかを含めて。
「…そうですか。よく似ていたもので失礼しました」と鍋の男性。
「で」
「この子たちは私のほうで。警備に知り合いがおりますので」と私。
ああではそれで、という感じで男性たちは自分の席に帰っていった。
子供たちは「警備」という言葉の意味がわかるらしく、おびえている。
「まあ、かけて」と椅子をすすめるとおずおずと腰掛けた。まだ犬猫は放さない。
「手を出して」と言い、不審がりながらも差し出した彼女らの手に小さいシールを貼った。
「もう放していい。このシールはお客さん用だから、見つからないよ」というが信じないようだ。ちょっと危ないが仕方が無い。
「ペットが居なくなったことに気が付いたら、警備会社や警察に連絡が行くかもしれない。飼い主ならどこにいるか調べられるし、普段はそうはしていないが、探そうと思えば、警備会社でも誰がどこに居るかはタグでわかってしまう。つまり、君たちが犬猫を誘拐したことになってしまう」
「でも…このシール本物なの?」と猫の子が小さい声で言った。
「本物だ。この建物の中で3人しかこれは持って居ないし、滅多に使わないものだが大丈夫だ」実はお客さん用ではなく、緊急対応用のシールなのだが。2時間でタグの代わりをする機能が切れる。
「おじさんはその3人なの? どうして持っているの?」と。
「それは」と一息置いて言う。「おじさんがここの持ち主の知り合いで、管理を頼まれているからだ」まあ、この程度ならギリギリいいか。
へーすごいね〜などと言いながらやっと犬猫を下に下ろした。よほどイヤだったのか、両方とも走ってどこかに行ってしまった。いずれ警備会社か飼い主が見つけるだろう。
「君たちはなぜこの塔に、このフロアに入り込んでいるんだい?」と聞いてみた。
と、どうも遊ぶ金欲しさ、というよりは食べるものに困って先の男性が言ったような行為を繰り返していたらしい。
「バベルの塔はお金持ちが住んでいるから、って周りの大人が言ってたから」と。へぇ。バベルと呼ばれているのか。
「バベルには2つの塔を持っている老人が居て、タグの無い人を見つけると八つ裂きにして食べちゃうんだって。おじさん知ってた? っていうかおじさんの知り合いがその老人なの?」と犬の子が。
こりゃ酷いウワサがたってるもんだ、と思いつつ「いや、知り合いじゃないけど。まあ似たような話は少し聞いたな」と乗ってみた。
「私が聞いたのは」と猫の子。
「老人は一度死んで、真っ赤な髪の毛になって幽霊として蘇った。ときどきWのこの部屋に居るんだけど赤い髪の人なんて居ないから誰にも分からないんだって。タグの無い人を見つけると必ず呪い殺す。バベルの亡霊って呼ばれてるんだって」と。かなり近い。前のオーナーもあまりこの塔を私に与えたことはあまり人に言っていなかったから、死んで生き返ったという説があっておかしくはない。まあ、頭は赤くないが。オレンジ色ではあるが。
「へえ」と私。「いろんなウワサがあるんだな」と。
「今日はどういたしましょうか?」と若い女性がやってきた。私が経営している飲食店の店長の娘だ。店長は他の飲食店も統括して管理していることもあり、私の正体を知っている数少ない家族のひとつだ。
「あ。そんな時間か」と私。たまにここで彼女になにがしかの料理を頼んで買ってきてもらって食事をしているのだ。
「いや、腹は減っていないな」と、女の子たちががっかりしているようだ。ああ、何か食べたくて今日は来たんだな、と気が付いた。
「君たちは?」と聞いてみる。
「え、別に…」と。まあ、照れがあるというか、目的を見透かされた感じがするのだろう。
「タンドリーの類をいくつか。あまり辛くしないように。あ、鶏肉は大丈夫か?」と子供たちに聞く。と、先の娘の制服を見て「あ!」と言った。カレー屋なのだが、お遣い詐欺で行ったことがあるのだろう。
「美味しいんだよねここの!」とか言い合っている。そして娘に
「お姉さんはこの塔の持ち主のことを知っている?」と聞きはじめた。
「お会いしたことはありますよ」とくすりと笑って娘は言った。
「怖いの? 老人なの? 髪は赤いの?」と立て続けに聞いている。
と、娘はちらりと子供たちの手の甲を見た。正式な客であれば、オーナーだけが持っているゲストタグを付けているはずだが、シールということは緊急の何かである、ということに気が付いたのだ。
「あまり怖い方ではありません」ほっとしたような子供たち。
「ですが」と娘。
「間違ったことや、同じミスを繰り返すことをお嫌いになる方です。少なくても、そちらのオーナー代行ほどお優しい方ではありません。食事をしたら帰りなさい。今度タグなしで入ったところを見かけたら、警察に連絡しますからね」と優しい顔で怖いことを言って帰って行った。
「オーナーが経営している店の人だ。今日中にオーナーに連絡が入ってしまうな」と私。
「うん」
「もうあそこのチキン食べられないんだね…」と。好きだったのだろうか。少し可愛そうだが、私自身が決まりを破ってしまってはここのルールはもうなんの意味ももたなくなる。
料理が届いたのと、予定が入っていたので「食べたら帰りなさい。もう来てはいけないよ」と告げて立ち上がった。片方の子供が「あ!」と言った。
「バベルの…亡霊だ…」
いつも座るその席は立ち上がると夕日が少しだけ差す時間帯がある。オレンジ色に染めた私の髪の色はその光を浴びて赤く燃えたような色にってしまったのか。
「そんなわけはない」と彼女たちの肩を叩いた。
「ほら、生身の身体があるだろう」
しかし、彼女たちの身体の震えは止まっていなかった。こりゃ髪の色を変えるか、と思って出口に向かうと料理を並べていたカレー屋の娘の静かな声がかすかに聞こえた。
「バベルの亡霊はお優しい方。ただ、間違ったことは許さない。この塔を守っているのよ」と。