昨日、いまのリーグのチーム編成のきっかけとなったある方の言葉を思い出していました。
「部活感覚で」という言葉が含まれていました。
以下は私の深読みというか勘違いかもしれませんが、ちょっとそのことで思ったことを書かせていただきます。
部活、というのは多くの場合「学生」が前提であり、ほとんどが「アマチュアプレイヤー」を指します。同年齢だけではなく、3〜4歳程度の年齢差のある人々がひとつのチームを編成することになります。
その中で、レギュラー争いであったり、エースと呼ばれる人間が生まれたり、いろいろな切磋琢磨、励ましあい、時には叱咤のようなものもあるでしょう。
エースになれなかった人間は、エースにつなぐために全力を尽くします。エースはそれに応えようとして、応えられるときもあるからこそエースであり、時には敗れても誰もそれを責めることがないのが「信頼」であり、そこにチームとしての力も生まれていくのでしょう。いや、そうでない関係は「同店舗から出場している」だけであり、チームとは言えないのかもしれません。
そのエースの中にはプロ、あるいは実業団に進む人も(ごくごく少数ですが) 居る場合もあります。もちろん、その他多くの「部活」で終わる人も居るわけです。
学生の本分は基本的に学業であり、部活の競技ではあまり才能に恵まれなくても、そちらで伸びる人も居ます。その他、学業にも部活にも関係ないところに長所を持つ人も居ます。
それら、様々な異なる環境の人々が「強くなること」「勝つこと」「負けたことから得たものを力に強くなろうとすること」が部活の良さ、というか本来的な姿であるのかもしれない。また、同じことを同じくらいの期間やっていても、個人練習だったり、素質だったりで力に差が出てきます。そういう意味では、年齢やその他諸々の立場、柵などを越えて試合という形に臨む以上「ひとつの競技の前では皆同条件」であるわけです。そういう部分をひっくるめてひとつの「チーム」であるわけです。チームとしての力を高めるために、時には個人練習を、時には団体練習を、そしてアドバイスを送りあったりするのも、チームであるからだと思います。チームで勝つために。
それらのことを含めての「部活感覚」という言葉を用いられたのだろうか、とふと思いました。
個人競技、かつ、団体戦という要素を含む競技であれば、最後は自分の力が頼りになるのかとも思います。しかし「チェスでスパコンに勝つ」ようなことを目標にすることでない限り、味方も対戦相手も常に人間です。
強さこそがすべて。そうだとは思いません。弱さに甘んじるつもりはありませんが「真剣であることと、強さだけを偏重すること」がイコールだとも思っていません。また、エントリーフィーや練習時間、試合参加のための諸々は「ただぼんやりとして」手に入るものでもなく、その上で試合に出る、という気持ちをもって皆臨んでいるはずです。店舗側も「リーグ用」として席などの手配をしてくださっているわけです。初対面の人に挨拶もせずにそこにどっかりと座っているような人は「部活でもないし趣味つうか娯楽、コミュニケーションツールとしてダーツを」なのかもしれません。そのスタンスはそれで大いに結構だと思いますし、状況によっては私もそう思うこともあります。また、強さこそがすべてというスタンスもその人の意思で貫き通すのであれば結構だと思います。
ただ、皆それぞれが「人は人、自分は自分」という気持ちを持っていれば、それぞれの考え方を尊重することができ、お互いに不快な思いをすることはなくなるのかもしれない。そんなことも「部活」という言葉とあわせて思ったりしました。
Posted by yae at December 1, 2005 09:58 PM | TrackBackTBさせていただきました。
|Д´)ノ 》 ジャ、マタ
部活っても稲中卓球部か湘北バスケ部かで随分違うよなーって思いました。
南葛FCと明和FCも違う。深いなあ。あねご萌え。
>サエキさん
稲中と湘北は相当違う気がしますね。稲中あんまり詳しくないんですが、かなりの温度差かとw
※アネゴは「居る居るこういう子」という共感はありましたね。
Posted by: yae at December 5, 2005 07:47 PM